初めてオナーしたのは何歳ですか?

初めてオナーしたのは何歳ですか?



オナニーの快感に気付いたのは、小学校3年生の時です。
私の小学校の校庭には「登り棒」という遊具がありました。
3mくらいの鉄の棒が鉄枠からつり下げられており、それを腕と足と股間で抱え込んで、蠕動運動をしながら登っていく(つまり腰を振りながら性器を鉄の棒に擦りつける=オナニーの原理と一緒)という遊具です。
この登り棒を、一番上まで登るというのが、通知表の「体育」で5段階評価の3以上をとる最低条件でした。
運動が苦手だった私は、毎回の体育の授業で登り棒を登れずに担任に怒られ、クラスメートからは嘲笑され、ついにある日、担任から「一週間後の再テストで登り棒を登れなかったら、保護者を呼び出して話をした上で(=保護者共々お説教)、通知表の体育は1!」と最後通牒を突きつけられました。
「通知表で1をもらうなんて!」と発奮した私は、それ以後、休み時間や放課後を使って登り棒の練習に励みました。来る日も来る日も・・・・。その甲斐あって、だんだんと登り棒を上れるようになってきたのです。
その日の放課後も、登り棒の練習に励んでいました。何回目かに挑戦していた時、
「え?何これ?!」
それまで感じたことのない感覚をチンチンにおぼえました。チンチンの奥に「ポチッ」とした不思議な灯りのようなくすぐったい快感が灯り、登り棒を上るに連れて、その快感=下半身がとろけるようなくすぐったさが見る見る増大してくるのです。
登り棒にしがみついたまま、チンチンを登り棒に擦りつけ続けました。快感=くすぐったさは極限に達し、そして見る見るしぼんでいきました。
力なく登り棒を滑り降りた私は、「今の何?・・・・でも最高の気持ちよさだった・・・・」と今の快感を思い出していました。
翌日も、休み時間になるとあの快感を思い出し、登り棒の練習に励みました。そして、その行為を繰り返すうち、チンチンを早々とくすぐったくするコツにも開眼していったのです。
射精こそありませんでしたが、この感覚はオナニーの感覚そのものです。これが私のオナニー初体験です。
4年生になり、男同士でエッチな会話を楽しむようになった時、友人たちも「登り棒を登っていると、チンチンがかゆくなるよなあ」と話していました。ですから、この方法=登り棒でオナニーを開眼したのは、私だけではないはずです。
小学校高学年になると、身体測定の時に見たパンツ1枚のクラスの女子の姿・授業中に見てしまった担任の先生のパンモロ・友だちの家に遊びに行った時に洗濯機の中に脱ぎ捨てられていたのを見た友だちのお母さんやお姉さんのパンティを思い出しながら、登り棒に励んで、チンチンをくすぐったくするのが楽しみになってしまいました。
初射精は中学2年の時でした。
その日も、対郁雄授業中に見た当時好きだったクラスの女子のブルマからはみ出したパンティを思い出しながら登り棒を登っていると、「ピュー!ピュッ!ピュッ!」とチンチンの先からヌルヌルした液体がほとばしり出たのです。体験したことのない気持ち悪さ、そして何かがほとばしった時のチンチンの大快感。パンツを見ると白く濁った液がべっとりと付着しており、「おれって病気になったか?」と怖れたほどでした。
手でやるオナニーに開眼したのは高2の時でした。
登り棒オナニーは、いくらチンチンをくすぐったくしたいという欲望に駆られても、天候が悪い時には出来ません。
試行錯誤の結果、ベッドの過度にチンチンを擦りつけるやり方を見つけました(これが中2の秋)。でもこのやりかたも、パンツを脱いでベッドの過度にチンチンを擦りつけるため、家族に見られたら大変ヤバイです。
友人たちとのエロ談義で知っていた「手でやるオナニー」に開眼したいと、勉強時間も惜しんで「手でやるオナニー」の開発に没頭しました。
高2の初冬、受験参考書を探しに訪れた書店で、ぐうぜんに好きだった先輩のおしっこの音を耳にしました。便器を破壊せんばかりに響き渡った先輩のおしっこの音が耳奥にいつまでも響き渡り、パンティをずらしお尻を丸出しにして便器にまたがって勢いよく放尿する先輩のあられもない姿が脳裏に浮かび、帰宅してからもチンチンが溶鉱炉のように煮えくりかえり、気がつくとパンツからチンチンを引っ張り出し、勢いよくチンチンを握って擦りまくっていました。
そして・・・・数分後、登り棒オナニーより、ベッドオナニーよりも遙かな快感と、先輩の名前を連呼する中で、大量の内なる液をほとばしらせたのでした。
したがって、私のオナニー初体験は、広い意味では小学校3年の時。狭義では高校2年の時となります。
◆最初は中一のときですね。
あまりの気持ち良さに3回続けてした覚えがあります。